私の母親は現在81歳で要介護2です。

そもそもの発端はお風呂場での火傷。

まあその前にたべ過ぎでメタボになり

動けなくなった事によるものも大きいのですが

その火傷により入院となり、

そこから介護生活が始まった。

 

とはいえ我が母親は一人暮らし。

なので介護と言っても自分で直接介護はしない。

ほぼ全部ケアマネジャーさん任せである^^;

 

まあケアマネさん任せと言っても

基本的な考え、決断は私がしければならず

しかも当の本人である母親は

昨年から認知症となりほぼ子ども状態。

薬で何とか抑えてはいるが

この認知症は進行を遅くする事は出来ても

治すことは出来ない、いわゆる不治の病。

 

その認知症を悪化される要因は

実は生活の中にある事は最近解った。

なのでその事を少し話そうと思う。

 

人間、誰しも一人では生きていけない。

いいや、一人で行けているという人は

実際にはいるかもしれないが、

それは一人じゃない過程を経たもの。

つまり生まれてからずーっと一人いう人はいない。

 

昔、ドイツは13世紀頃の話しだろうか?

赤ん坊に恐ろしい実験をしたそうな。

それは生まれてきた赤ん坊を

感情を込めて接する組と

全く機械的に接する組に分けて育て

影響を調べる実験だそうな。

 

その結果、感情が与えられなかった組は

ほとんどの子が死んでしまったそうな。

誠に恐ろしい実験をしたものだと思うが

その例からも解るようにやはり人間は

一人では生きられない生き物なのである。

 

ただある程度成長してしまえば

更にある適度は一人で生きられると思うが

その先、これは実験されてはいないが恐らく

高齢となり、身体の自由が次第に効かなくなった頃に

もし同じような実験を行ったとすれば

同じような結果が出るのではないかと

最近母親を見ててそう思う。

 

ところで私の母親に対する気持ちは

はっきり言って最悪である。

とはいえ、虐待したいと思うわけではないので

それに比べればまとも?

まあその程度、決して親身に思ってはいない。

その理由についてはいずれ触れることとしよう。

 

そんな母親ではあるが社会通念上

要介護で認知症となった者を

そのまま放置する事はできない。

まあどういう幼少期を送ったかにもよるが。

 

さて、認知症予防法なるものがあるにはある

が、大抵の場合そんなに一生懸命取り組まない

ことの重大さがわからないからだ。

なのでせっかくいろんなアドバイスがあっても

現実的には皆有効に活用できていない。

 

私の場合も全くそのとおりだった(-_-;)

なので今更あとには戻れないので

これからどうするべきか考えるしかない。

現在のところ認知症を治す薬がない

薬を発明できたらノーベル賞ものだからね。

 

さて認知症を発症してしまったあとの

私の対策法を書きとどめておこう。

実は予防策も同様と考えるが中身は至って簡単。

仕事として接する、手だそれだけの事。

つまりは自分は介護の職員であり

介護サービスの一つとして

その人と接している、そういう事。

 

ただ優しい面はそのまま子や孫として接するべし。

ここで言うサービスを行うとは、

気に触った発言や行為にあった時に

ふと自分をチェンジすべきという事だ。

 

因みに私は残念ながら育てられ方の問題があり

母親と接する時は常に介護職員に

なりきって接している。

 

親に親身もないのになぜそうできるのか?

という疑問が恐らくは湧くであろう。

でも答えは至って簡単だ。

そうしなければ災いが自分の身に降ってくる

その事は明白であるからである。

 

つまり、乱暴に接すればするだけ

余計に認知症は悪化してしまい、

更には変な幻聴や幻想を経験し、

火事や事故の加害者となってしまう恐れが

充分あるからである。

 

なのでこの疑似介護職員法は

我が身を守る手段でもある事を

認識すればできるであろう事である。

 

ただ常に感情移入が強かった場合は

直ぐに自分を変えることは不可能であろう。

その場合は病気の治療のごとく

少しずつ少しずつ変えていくしかない。

紛れもなく自分のみを守る事に繋がるので

そこをよく理解して頑張っていこう。

 

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